育ち、育てられる場を

奥富の田んぼはだいぶ稲刈りが終わっていて、ひこばえが青々とのびているところもありました。 (10/23本人撮影)

 10年ほど前に自分のウェブサイトを立ち上げたものの、何年も手をつけられずに情報が古いままになっています。本気で取り組めば自分で直せなくもないのですが、なかなか重い腰が上がりません。
 これではいけないと、先日この方面に詳しい知人に相談をして、技術的なことを教えてもらいました。難しくはなさそうだとわかったところで、しかし、今はまた中断…。
できないのではなくて、やらないだけ。そう考えて、いろんなことを自分でできるようにとがんばってきました。ですが、やる気が起こらない時点で苦手なのでしょう。また、自分でできるからと一人で抱え込めば時間も体力も持ちません。チームであれば、特定の人に仕事が集中し、他の人は疎外されることになります。
 私は近年、「誰か得意だったり好きだったりする人いない?」と聞くようにしています。すると、頼もしくも手を挙げてくれる人がいるものです。過日、仲間の一人が初めての作業だったにも関わらず見事に完遂してくれました。頼られると力が出るという経験、私にもあります。「役割が人を育てる」ということでしょう。
 今、社会にゆとりがないせいか、すでに持っている能力や即戦力が重視されるように思います。持ち前の「得意」を生かせる場があれば本人もまわりも幸せですが、育ち、育てられる場は、次代につなぐためにも必要です。私も毎日、育ち、育てられています。

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